3月26日22時1分。
愛猫のこたが息を引き取りました。
20年にわたるニャン生でした。
兄弟猫こじのときみたいに、病を患って苦しんで死んだ訳ではなく、老衰だったかなと思います。
だって、その前日まで普通にご飯催促されたし、食べ切ってたし、お水飲んでたし、おしっこもウンチもしてた。
こじが死んじゃったあと、こたは痩せた。
といっても、もともとはデブニャンだったから、標準体重に近づいたって感じだったけど。
そのあと、私が結婚して、一匹残していくのが心配で、意を決して一緒に連れて行った。引っ越しした1ヶ月くらいはやっぱり夜鳴きとかあったけど、徐々に落ち着いた。
結婚してから、私は仕事を辞めたし、そのあと妊娠もしていたから、こたと毎日一緒だったし、毎日写真撮ってたし、毎日『可愛いね』って愛でてた。そうすると、こじが死んじゃったあとよりかは毛のツヤも戻って、なんならツヤツヤしてたし、少しふっくりもしていた気がする。歳をとっている猫には見えないなあなんて思ってた。
10月、娘を出産した。
今まで、こたファーストだったところに、いきなり娘が来たもんだから、たぶんストレスも相当あったんだと思う。
段々と痩せていった。突然老けた感じ。
ワガママにも拍車がかかり、なかなか手を焼いた。
産後1,2ヶ月はどうしても娘の育児に私も必死で、今までこたを構っていた時間がはるかに減った。なんなら自分の時間もほぼなくて、そんな中、こたに愛情を注ぐ時間をうまくさけなかった。
やっと眠りにつけた娘の目の前でめちゃくちゃ大きな声で鳴いたり、こたつで娘を抱いているとなんとなく踏みにきたりと、少し賢いワルじいちゃん猫だった。
でもたぶん、いつだって『寂しい』『かまって』って訴えていたのかも。
最近になって、やっと私にも余裕がでてきて、こたにも少しずつ構えるようになってきた。
こたが息を引き立ったとき、ふと思った。自分からこたを抱き上げられた日はいつだったっけ?って。そうしたら本当今更遅いのに自分に腹立ったし、最後の最後に、こたを寂しい思いさせてしまったんじゃないかって後悔ばかり。
あれだけ毎日毎日写真撮っていたこた。でも娘が産まれてから撮るのさえ激減していて、最近ようやく少しずつまた撮り始めていたところ。
娘の育児に必死で、なんて一生懸命に言い訳して。
まあ確かにそうなんだけど…。
こたの命だって僅かって分かってたのに。
産前と産後で、がらんと環境が変わって、ストレスも与えてしまったんだなあと思うと。
こたが息を引き取る日、
本当、なんの気無しに、なんとなく、こたを濡れタオルで拭いてあげようって、日向でマッサージがてら拭いてあげてた。本当はお風呂に入れてあげたかったけど、お風呂が好きじゃないし、なんだか最近体力もあまりないし、娘みながらだと旦那がある休みの日じゃないとだから、とりあえず拭いてあげようかなって。
こたは賢かった。
私と旦那の口喧嘩がヒートアップすると、いつも仲裁に入るように間にやってきてよく鳴いた。そんな姿を見せられて、二人してハッとなってすぐに落ち着くなんてこともまああった。
こたは人間が好きだったと思う。
それはたぶん、実家で育ったときにたくさん愛情を注いであげられたから、『人間はみんな優しい』って思ってくれたからかなあ。近くにいるだけで、ゴロゴロいうし、初対面の人でもゴロゴロいうし、なんなら動物病院の先生にだってゴロゴロ喉を鳴らす。
そんなこたは、日中に拭いてあげたとき、ゴロゴロいわなかった。もうその時から余裕なかったのかなあ。逆に優しく拭いても力なくペタンとよろけてしまうから、横にならせてゆっくり優しく撫でても、日向ぼっこもしないで、少し嫌そうにしてそのまま猫ハウスに戻ってしまった。そのあとは、猫ハウスとお水と、クッションを往復、時々吐きそうにえずいたり、吐いたり。
そういえば、こた、今日はまだウンチしてないな?
って思った夕方。
猫ハウスからよろよろと出てきて、そのままトイレの方向まで歩きかけて「マォォン」って鳴いた後に、両脚をぺたんと両方に広げてうつ伏せになってしまった。
私はその光景を知っている。
こじが、息を引き取るその日、そんな風にぺたっとなってもう足の力が入らなくて横になって、そこから半日で逝ってしまったのを。
だから、こたがそうなったときに、もう死んじゃうかもしれないって気づいた。
でも、だって、昨日まではご飯食べてたし…昨日まで普通だったし…こじのときは、三日三晩何も食べれなくてそのあとに横になったから、もしかしたらこたは今日から3日くらい辛い思いするのかな?
って、色々思いながら、とりあえずすぐに移動させて、横にならせて。
もうこたは、自力では起き上がれないくらいにはグッタリしていた。でも、『にゃぁん』って時々鳴いて、ちゃんと頭を上げて私の顔を見る。
「ここにいるよ!」
何度も頭を撫でたし、呼んだし、呼ばれた。
ああ、こうして、毎日、何度もしつこいくらい頭撫でてあげればよかった。
そんなふうに思いながら。
今だけは、こたを最優先させてねって5ヶ月になったばかりの娘に言い聞かせて。
娘も比較的静かで良い子だったけど、しょうがないんだけど、でもやっぱり授乳とかおむつ替えとか、眠りぐずりで、こんな時でさえもこたを優先してあげられない時間が少しでもあったこと、申し訳なかった。目線が娘にいってるとき、こたがもし死んでしまったらきっと寂しい、それは絶対にしちゃいけない、したくないって思ってずっと見てた。
こたほどよく鳴く猫はそう見かけないし、その鳴き声に悩まされた日もあった。
しかもここ最近は、老衰やストレスで、トイレを場外にされることも多かった。もともと、吐き癖のある猫だったから、吐かれたところを掃除するのもよくあった。まだ娘は歩けないしハイハイもしないから良いけど、動けるようになったら大変だなあと思っていた。
夜9時半ころから、2回、
逝きかけて戻ってきた。
あれだけ弱々しくグッタリしていたのに、両手両足に力がグイッ!と入ってひっくり返るように伸ばして、目の瞳孔が開いて。
1回目の時は、それにビックリして思わず名前を連呼して声かけてしまった。だから多分、頑張って戻ってきてくれた。だから反省した。
2回目は何も言わず頭を撫で続けて、見守った。
そして3回目に、こじのもとへと逝ってしまった。
こじのときの、壮絶な最期を見ているから、
こたが1週間とかそういった長い時間苦しみ悶えながら逝くとかではなくて良かった。勿論、死ぬ瞬間は辛かったかもしれないけど。夕方に一口だけ好きだったチュールーも舐めてくれた。
こじのときの、死んじゃったあとの後悔とはまた違う後悔が押し寄せてきた。
今更遅い。
でも目を閉じて振り返ると、
やっと娘が眠って一息つける時にこたが鳴いたのにイラっとしてしまったり、産前はベッドで一緒に寝てたりもしたのに、娘が産まれてからは衛生面が少し気になってしまってほぼベッドにあげてあげることが減ったり、ダメクッションで一緒に寝てたのに、いつのまにか娘と一緒に使うからこたは乗らないようにって気をつけてたり。
勿論、色々してあげられたこともあった。
こたは最期どんな気持ちだったかな。
自己満足だしそう思ってくれてたら良いなってひとりよがりだけど、家族になれて良かったって、大好きだったって思ってくれてたら良いな。
こたはこじが大好きだったから、やっと会えたかな。
次、産まれかわれるとしたら、なにに産まれかわれるとしても、ご飯や寝床に困らず、ぬくぬくと生活ができていますように。
私のもとへきてくれて、一緒に生活してくれて、たくさんの癒しをくれて、本当に本当にありがとう。私の人生の大半は猫と一緒でした。
コロナで外出が出来なくても、
つわりがひどくて家で動けなくなっても、
いつもこたが居てくれた。
少し外出して帰ってくると犬のように出迎えてくれた。
いつもうるさいって思っていた鳴き声がなくて、
いつも大変だなって思っていた猫トイレ掃除がなくて、
いつもこたのために引き戸を少しだけ開けていたクセが抜けなくて、
私がお菓子食べようとすると自分のじゃないかってかけよってくるこたはもう居なくて、
こた寝てるかなってつい覗きそうになる猫ハウス。
一気に寂しくなりました。
旦那さんも後悔している。
こたが息を引き取るその日、いつも早く帰れるのに、
その日だけとても残業が遅くまで続いて帰れなかった。
こたが息を引き取ったのは夜10時。
旦那さんが返ってきたのは23時半。
帰宅するなりすぐに冷え切ったこたのもとへかけて、
スーツのまま膝ついて、ぽたぽたぽたぽたと涙をこぼしてむせび泣いた。
「なんで今日なんだよお・・・急すぎるだろ・・・・」
本当にそう。
本当に急だった。
でも、よく考えれば全然急でもなかったのかなとも思う。
だって日に日に痩せてたし、確実に老いていったのはわかっていたから。
そんなこと言ってもしょうがないんだけどさ・・・。
2日たった今も、あまり実感がわいてなくて、でも、
少しずつ”猫のいない生活の部屋”になってきて。
外出して帰ってきても、こたのいない雰囲気がとてもつらい。
後悔ばかりが思い浮かんでとてもつらい。
もっともっと、優しくしてあげればよかった。
私が妊娠中はこんなに毎日一緒にいたのに。
産後になってからかまってあげられる時間が激減して、本当に寂しい思いをさせたと思う。
救いようのない話。どうしようもない話。
でももうごめんねって声すら届かない。
乗り越えていかなきゃ。
1年半前に先に逝ったこじと、一緒のテーブルにお供え。
寂しくないように、いつでも目に入る場所のリビングに。
コメント